今朝、食パンを焼いていたときに、ふとなぜ食パンは食パンというのだろう?と気になった。
ネットで調べたら、「言葉のレシピ」というサイトですぐに答えが見つかった。
そこには五つほど説が紹介されていた。
1本食パン説
パン屋で売っている四角くて長いパンのことを、もともと「本食パン」と呼んでいたからというもの。
2主食パン説
イギリスパンとして広まった山型食パンが、おやつ用とは違う「主食用のパン」という意味で「食パン」と呼ばれるようになったというもの。
3消しパンと区別する説
デッサンなどの消しゴム代わりに使われていたパンと区別するためにつけられたというもの。
4酵母説
食パン作りに使われる酵母が「食べられた」と言う意味で、「食パン」と呼ばれるようになったというもの。
5フライパンと区別する説
「フライパン」と「食用のパン」を区別するために「食パン」と呼ぶようになったというもの。
この中では、やっぱり1番と2番の説が自然な感じがするな。
このサイトでは、パンの歴史も紹介されていた。
パンが日本に初めてやって来たのは1543年に種子島に漂着したポルトガル人による鉄砲伝来の時だという。
その後、宣教師たちによるキリスト教布教とともに国中に知られるようになって、織田信長も食べたらしい。
パンは江戸時代にはあまり普及しなかったようで、日本人によってパンが作られたのは、1842(天保13)年にそれまで長崎出島のオランダ屋敷でパンを作っていた料理人作太郎を伊豆の代官江川太郎左衛門が呼び寄せて、作らせたのが日本初だという。
今ではたいていのことがすぐにネットで調べられる。便利な世の中になったものだ。
しかし、このサイトでは続いて、
「その後、幕府の援助を受けたフランス人ロバート・クラークが横浜でヨコハマベーカリーを始めるなどして、フランスパンが出回りました」
と記述してあった。
ロバート・クラークは名前からしてもフランス人というのは変だなと思い、別のサイトで調べたら、やっぱりロバート・クラークはイギリス人であった。
だから、これはイギリスパンのことでしょうね。
ネットはすぐに知りたいことが調べられるが、その記述が本当に正しいかは分からない。ネットの情報をなんでも闇雲に信じるのは危険だな。
クラーク氏のあとを受け継いだ初代打木彦太郎が明治21年、元町に創業を開始した『横浜ベーカリー宇千喜商店』は現在でもウチキパンとして親しまれている。
ウチキパンのホームページ http://www.uchikipan.com/index.html